畑のマリリン

植物が大好きで、一日の大半を畑で過ごしています。

父が亡くなりました(2)

おはこんばんちは。

 

昨日は、私のミスで同じ記事を

2回upしてしまったようです。

気が付き、一つを削除した時に、

頑張ってね、応援しています

等のメッセージをくださった

はてなスターも消してしまいました。

くださった方々、申し訳ございません。

そして、ありがとうございましたm(__)m

 

さて、昨日の記事の続きですが

私は7人姉妹で、皆結婚してそれぞれの家に

住んでいるので、いつも誰かが来れなかったり

7人が揃うという事は滅多にありませんでした。

 

しかし、父を老健施設から

病院へ搬送するために救急車へ

乗せるときに、近くに住む姉二人も

駆けつけてくれたので、

姉妹7人全員が会うことができました。

 

病院へついてからも、家族二人なら

付き添ってよいとの事で

交代で、父に「大丈夫だからね」

と声を掛けながら、手を握ったり

足をさすったりすることができました。

 

意識はしっかりしていましたが

低酸素と痛みのため、「ありがとう」

とだけ聞き取れました。

 

その後、鼻からお腹へ管を入れて

ガスを抜く治療等をし、

それ以上の処置は病院でも老健施設でも

同じという事で、それならば

馴染みのあるスタッフのいる

老健施設へ戻そうという事になり

今度は介護タクシー(ベットごと患者を運べる)

を呼んで、移動することになりました。

 

その介護タクシーには2名付き添うことができたので

私と妹が乗ることになりました。

 

私は病院での付き添いで疲れていたので

妹に父のそばに座ってもらい

鼻の管を外さないように、手をずっと握りながら

声かけをしていました。

姉妹の中でも妹はなかなか帰れなかったので

後になって、父と会えてよかったと言っていました。

 

老健施設へ着いてから、職員へ父をよろしくとお願いし

(症状などの連絡は、病院と老健施設で取れていたので)

その時点で、父はもう長くはないと思っていたのですが、

今日明日の話ではないと思っていたので、

その後、近くに住む姉2人を除いて5人で

2時間かけてそれぞれの家へ帰ったのでした。

 

そして、翌朝7時に「父が亡くなった」と

姉から連絡を受けたのでした。

 

昨年12月に老健施設へ入所してから

コロナの影響で、ずっと会えない状況が

続いていたのですが、そのまま会えずに

逝かしてしまうのはあまりにも

可愛そう過ぎると、姉妹全員が思っていたので

最後の最後で、会えたので

父が皆を呼んだのかなって話しました。

とにかく、こんなコロナ禍で

会えたので父も安心したであろうし

私たちも、最後に会えたので良かったと思ったのでした。

 

今回の件で出会った人々の、優しさ、親切に

触れて、有難いなと感謝の気持ちで一杯になりました。

その件は、またの機会に書きたいと思います。

駄文、長文を最後まで読んでくださった方

ありがとうございました。

 

 

Good Luck